楽譜の選択について

(写真右は私が幼少期に使っていた教本)

仕事柄よく聞かれるのは「何版を使ったらいいんですか?」という問題です。
昔は自分がいいと思う楽譜を推薦したこともありますが、最近はあまり特定の楽譜を薦めることはしなくなりました。私が師事した先生も、楽譜は何を使ってもよいとされていたことを思い出します。

もちろん、「音楽」は楽譜が現れる以前から存在していたに違いありません。音楽を聴いて覚える、聴いて学ぶ、真似る、伝承する、ということが大切だという意見もあるでしょうが、やはり書き記すことによる恩恵は大きかったはずで、そうでなければこれほど楽譜が大切にされるはずはないと思います。

しかし、「楽譜には全部書いてある」という意見にも賛成しません。ショパンのマズルカはどうなのだ、ウィンナ・ワルツのリズムは楽譜に書いてないではないか、といわれれば確かにその通りだから。では所詮楽譜は不完全なものなのか。それはそうでなく、「演奏慣習」の研究をすることによって、ある程度、楽譜表記と実際の演奏との関連を体系付けることもできると思われます。楽譜に書いてなくても三拍子の楽曲は1拍目に強勢が置かれる、というように。一元論的な考え方に傾斜することには注意しなければなりません。

私がまだ小さい頃は、住んでいた地域のせいもあり、楽譜と言えばほとんど国内版でした。中学校時代、高崎市でショパンの春秋社版を買い求めたところ「こういう楽譜を使う人は偉いねえ」などとお店の人に言われたことを思い出しますが、春秋社版はケースに入っているだけで何か高級な感じがしたものです。全音版は帯紙の色が赤から黄色になると一歩進んだように思ったりしたものでした。

輸入版を買うようになったのは高校生になってからです。友人たちの影響が大きかったと思います。直接のきっかけはベートーヴェン「熱情」ソナタの第1楽章で「その楽譜では音が違う」と先生から指摘されたことでした。私の先生は楽譜の指定をされない人でしたが、これ以後は自主的に「より良い楽譜」を探そうとしたような気がします。

以下には、さまざまなエディションについて、使用してみた感想・意見を述べることとします。あくまで私の個人的意見ですのであまり一般化されないようお願いいたします。

海外

Associated Board of Royal School of Music 有名なのはTovey編のベートーヴェン「ピアノ・ソナタ全集」。国内版でも全音から出ているが、翻訳で少々分かりづらいところがあり、Associated Board版も時々見ている。
Augener Frank Bridge、Hubert H. Parry のピアノ作品など。パリーの“Shulbrede Tunes”は美しい曲である。
Bote & Bock
Bärenreiter Verlag バッハ、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト等の新全集で有名。批判版として参考にすべき楽譜。全音からでている国内版は、製本がしっかりしすぎて(?)おり譜めくりにやや難点があるのが惜しい。
Belwin-Mills “Kalmus Miniature Scores”として出ているリスト作品集では、3種類の「超絶技巧練習曲」が比べられて実に面白い。またロッシーニのピアノ曲集(全5巻)も出ている。
Gerard Billaudot
Boccaccini & Spada Editori Donizettiの連弾作品が面白い。
Breitkopf & Härtel バッハのBusoni版、ベートーヴェンの旧全集、シューマンの全集などで知られている。歴史のある出版社。クレメンティ「グラドス・アド・パルナッスム」のオリジナル版はここから出版されている。これを見ると、通常はタウジッヒ編で学習されるエチュードだが、本来の作品は単に指の訓練のみでなく、対位法的作品も含まれていることが分かる。
Edizioni Bongiovanni レスピーギのピアノ作品。
Boosey & Hawkes ラフマニノフ作品など。
Carl Fischer ベートーヴェン「ピアノソナタ全集」ダルベール版を所有。
Augst Cranz
J. & W. Chester
Edizioni Curci シュナーベルのベートーヴェン「ピアノ・ソナタ全集」。これはかつて Simon and Schuster という会社から出版されていた(写真)時期もあったが、現在では他にBelwin & Mills でも入手可能なはず。
Ludwig Doblinger
Dover Publications リプリント楽譜を多く出版している会社。割合廉価で内容も良いので、私の家では数多く所有。
Durand et Cie. 面白いのはデュカス編のベートーヴェン「ピアノ・ソナタ全集」、Gadeのピアノ曲集、Kuhrau,Clementi「ソナチネ集」。ソナチネは「原典版」ではないかと思っているが、ただ今調査中。
Editio Musica Budapest リストの全集が出ている。この楽譜のおかげでリストの原典版について考えられるようになったと言ってもよいのだが、製本が不安定で、現在持っている楽譜は本の体裁を成しているとは言い難くなってしまった。「ドホナーニ・アルバム」も面白い。
Éditions Musicales du Marais Séverac のピアノ・ソナタなど。
Enoch et Cie. C.Chaminade のピアノ曲がある。この人の作品はもっと演奏されてよいと思う。
Edition Max Eschig Alexandre Tansmann のピアノ曲。平易ながら美しいものが多い。それと Villa-Lobosの楽譜など。
Ernst Eulenburg Ltd 小型スコアを多数。
Faber Music
Edition Fazer Sibelius のピアノ作品など。ピースで何曲か持っている。
Garland Publishing, Inc. “J.N.Hummel The complete works for piano”という全集がすばらしい。
G.Schirmer Inc. この会社の楽譜で多く所有しているのはピアノ協奏曲諸作品。ベーレンライター版が出るまではモーツァルトはこの版で勉強していた。バッハ「平均律」のAnthony Newman版は、実用版としてかなり書き込みが多く面白い。
Friedrich Hofmeister
Musikverlag Hans Sikorski ハンブルグの出版社。“Hymnen der Nationen”はヨーロッパの国歌をピアノ用に編曲しているもの。
Heugele et Cie. スカルラッティのソナタ全集(Kenneth Gilbert編、写真)。全11巻で非常に高価だったが、全部を知る必要を感じ購入した。ところが現代では某インターネットのサイトで無料でこの楽譜を見ることができる。これには唖然とした。他にはプーランク作品など。
Hamelle et Cie フォーレのピアノ作品、室内楽作品など。
Hug Musikverlage.
Günter Henle Verlag 日本で非常に良く売れている「原典版」と言えばHenle版。ただ、バッハなどは注解が物足りないし、ショパンは基本とするテクストの違いからか(特にソナタ第3番など)要注意の箇所がある。
International Music Campany 色とりどりの表紙でよく見かける楽譜。アメリカの楽譜はミスプリントが多いという印象があったが、フォーレ「即興曲」はこちらの方がフランスの楽譜より正しい音だとする説がありなかなか奥が深い。
Edition Jobert ドビュッシーの作品など。
P.Jurgenson Arensky, Balakirew, Cui, Glinka, Moussorgsky, Prokofiew, Scriabine, Tchaikowsky, Stravinskyなど。私はTschérépnineのピアノ曲をこの出版社の楽譜で持っている。
Edwin F. Kalmus Cyril Scott のピアノ曲集を所有。学習用の小型スコアでも知られている会社だが、こちらは最近あまり見かけなくなった。
Könemann Music Budapest Glinka のピアノ曲全集。
Alphonse Leduc イベール、デュティユのピアノ曲などフランス関係の作品。
F.E.C.Leuckart
Henry Lemoine “Jardin d'enfants(日本語版「子供の花園」)”。なかなか選曲がよく面白い。デュティユの“BERGERIE(牧歌)”は特に好みの一曲である。
L'oiseau Lyre
Masters Music Publications, Inc. Granados の作品など。
Edward B. Marx
MCA Music プロコフィエフのピアノ・ソナタ、ショスタコーヴィチのピアノ曲など。
Musica Obscura Editions Alexander Siloti“Prelude in B minor Freely Based on J.S.Bach's Prelude in B minor from the W.T.C., VolumeT”長いこと探していた楽譜が2002年の秋にやっと手に入った。早速同年12月の演奏会のアンコール曲として演奏。譜面をさらにギレリスがアレンジして演奏しており、この演奏が有名である。
Novello & Co. Arther Bliss のピアノ・ソナタ。なかなかいい曲だがあまり演奏されないようだ。他には Elgarのピアノ曲など。
Oxford University Press Delius,Rawsthorne,Berkeley,Mathias,R.Vaughan Williams のピアノ作品など。
Peer International Corporation Ives のピアノ・ソナタなど。
Paragon Music Publishers チャイコフスキー(リスト編)の「ポロネーズ(エウゲニ・オネーギンより)」など。
Edition Peters その昔は、輸入版といえばこの会社だった。最近はこの会社よりベートーヴェンなどにも批判版が登場しており、J.Fischer校訂のものはなかなか興味深い。
Polskie Wydawnictwo Muzyczne いわゆる「ナショナル・エディション」で、ヤン・エキエル校訂のショパン作品が次々と出版されている。昔は「パデレフスキ版」が信頼されていたが、これからはこのエディションが解釈の基本とされることになるだろう。
G.Ricordi ピアノの分野でかつて名高かったのは Longo編のスカルラッティ「ソナタ全集」。ベートーヴェンの「Casella版」には演奏上有益な知恵が多く書かれている。
Richard Schauer = N.Simrock & Anton Benjamin ドヴォルジャークの「スラヴ舞曲(ピアノ連弾)」がこの出版社から出ている。その他、メトネルのピアノ曲など。
Robert Lienau ゴドフスキ編曲の「ショパン練習曲集」がある。全5巻(写真)。
Stainer & Bell Limited Frank Bridge、Berkeley、Irelandなど英国作曲家の作品がある。
Edition Salabert コルトー編のショパン作品集で知られている。
Edition Schott
Hans Sikorski
Editio Supraphon Praha Dusikのピアノ・ソナタ集、Dvorákの「ピアノ協奏曲」など。
Steingräber Verlag
Thames Publishing Geoffrey Bushの作品など。
Universal Edition ベートーヴェンのSchnker版で有名だが、最近は「ウィーン原典版」の会社と言った方が通りがいいかもしれない。
Union Musicale Española アルベニスなどの作品で知られている。
Warner Bros. Publishing Inc. ガーシュインのピアノ曲など。
Wilhelm Hansen Musikforlag Bentzon、Jersild、Schytte、Alfvén、Bibaro、Riisager、Svendsenなど北欧作曲家の作品など。Nielsen のピアノ曲集は、すでに絶版になっていたものを「コピーでよければ製本して販売する」と出版社からの連絡を頂いて購入した。その他、E.フィッシャー校訂のバッハ作品が出版されている。実用版として参考になる楽譜である。
Wilhelm Zimmermann N.Medtner のピアノ・ソナタ。最近 Dover の全集が出たがかつてはこの会社から1曲ずつ出たものを使っていた。“Sonata Reminiscenza”は国内版でも見られるが、譜面の美しさなどの印象はこちらの方がずっとよい。
Edition G. Zanibon

国内

ATN
大阪開成館 「コールユーブンゲン」で名高い出版社。
オクト出版社
音楽教育社 浜野正雄著『音楽理論』という本が私の家にある。父から貰ったものだ。昭和33年初版発行。
音楽之友社 「ウィーン原典版」のベートーヴェン「ピアノ・ソナタ全集」。ところどころにある「注」に「別冊の《注解1》を参照」とあるが、どうしてその本の中でふれてもらえないのかが不満だ。モーツァルトのソナタ全集は新版が出て、旧版との比較は面白い。
学習研究社
カワイ出版部 「こどもたちへ」という曲集が面白いのだが、あまり使われていないような気がする。
共同音楽出版社
KMP(協楽社)
教育芸術社 大学の小学校専門科目で教科書として使われている楽譜が多いらしい。
教育出版
現代ギター社
好樂社 「MOHAN PIANO EDITION バッハ 小前奏曲と遁走曲集」という楽譜(写真)を持っている。昭和16年出版。なぜ私が持っているかというと、幼少期からずっとピアノを習っていた先生に頂いたのだ。私の宝物の一つである。
サーベル社 「ピアノコード即興演奏ポピュラー」は、かつて大学の授業で用いた。
サミー・ミュージック 「ギロック 叙情小曲集」「発表会のためのギロック」が知られているような気がする。全音から途中でサミーミュージックに版権が移動して、また全音に戻ったという話である。
自由現代社
春秋社 フォーレの「ピアノ曲全集」は、指使いと音について参照する楽譜である。
シンコー・ミュージック 「ピアノ ポピュラー・ベスト100」など。
全音楽譜出版社 ベーレンライター原典版が国内版として買えるようになった意義は大きいと言えるだろう。日本語で解説が読めるようになったことが特に。
中央アート出版社 「クラシック・イン・ジャズ・ピアノ(1〜5)」は非常に面白い。クラシックの名曲が、初級から中級程度の技術でジャズの語法が会得できるようにアレンジしてある。
東音企画
東京音楽書院 「小さなピアニスト」「松本恒敏編/インヴェンション子供小品集」などの教本で小さい頃勉強していたことを思い出す。現在使っているのは「レーヴェ歌曲集」などの譜面。
東京書籍
ドレミ楽譜出版社 「カンツォーネ名曲選」「久石譲スペシャルセレクション」など。クラシックのピアノ小品では、輸入版で入手が難しいものが「こどものための発表会ピアノ全集」に入っていて有り難かったことがある。
日本音楽出版株式会社(日音) ベルティーニ「25の練習曲」は以前は日音から出ていて(写真)、その本で私は勉強した。「原書の風格」「原典版に忠実」とあるが、第16番の第31小節にOttava記号が(おそらく)落ちているのはオリジナルの譜面を踏襲したためか。全音版では一拍目まで記号が延長するよう直されている。
日本楽譜出版社
日本放送出版協会
フェアリー
ブレンデュース
ミュージックランド
ムジカノーヴァ
ヤマハ音楽振興会
ヤマハミユージックメディア 「ヤマハピアノライブラリー」で出ている「バロック小品集」の楽譜は、しばしばコンクールの課題などで指定されることもあるが、オリジナルにはないと思われるスラーなど書込みが見られ、注意を要する。
リットーミュージック 「最新音楽用語事典」は、座右に置いてよく使用する事典である。
龍吟社 この出版社から出ている(出ていた)金子晋一著『ソルファ メトード』という教科書でかつてソルフェージュを習ったことがある。
レッスンの友社 かつて関係サイトに「昭和38年初代社長河村昭三が親交のあったドミトリー・カバレフスキー氏の楽譜を日本へ広めようと前身“家庭芸術社”を創立。昭和47年株式会社レッスンの友社設立、現在に至る。ピアノ楽譜、弦楽楽譜、書籍などを出版」とあった。カバレフスキーの変奏曲集はこの会社の版と他者版ではかなりテンポ表示が異なるので要注意。問い合わせたところ、このエディションを信用してほしいという返信があり、旧ソ連の初版譜を送ってくれた、親切な出版社であったと思う。


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