芸術・音楽を考えるときに役立つ本


レイノア,ヘンリー 『音楽と社会 1815年から現代までの音楽の社会史』城戸朋子訳、音楽之友社、1990
イギリスの音楽学者・音楽評論家・ジャーナリストによる、音楽家を支えていた音楽と社会について述べた独創的な著作。

クリッチュリー,M/ヘンスン,R.A編『音楽と脳』柘植秀臣/梅本堯夫/桜林仁=監訳、サイエンス社、昭和62年
第7章「音楽における記憶と注意」など面白い考察がある。
シヴェルブシュ,ヴォルフガング『闇をひらく光』小川さくえ訳、法政大学出版局、1988
産業革命を頂点に、バロックから近代にいたる照明の文化史、時代の哲学と社会と技術を結んで、バシュラールの<管理された光>の社会的側面をダイナミックに論じた光の思想史(帯紙文章を引用)。演奏会での照明を考える時に読むと面白い。

ステント,G.S.『進歩の終焉 来るべき黄金時代』渡辺格/生松敬三/柳沢桂子訳、みすず書房、1972
第6章「芸術と科学の終り」は芸術を語る人々に一度は読んで頂きたいところだ。
石井宏『誰がヴァイオリンを殺したか』 新潮社、2002
『誰が本を殺すのか(佐野眞一、新潮文庫)』と似たような題名だが、「なぜストラディヴァーリは再現できないのか」のくだりなど音楽界を痛烈に批判しており面白い。
中村とうよう『ポピュラー音楽の世紀』岩波新書、1999
20世紀はポピュラー音楽の時代。人々のパワーが種々の音楽をどのように創造し、伝播したか。ときどき辛辣な筆致も見られるが実に参考になる一冊。
渡辺裕『音楽機械劇場』 新書館、1997
19世紀の「家庭音楽」が彼らのライフスタイルを形成する重要な要因であったことがよくわかる。「ベートーヴェンも機械の申し子だった」とあるように、「はずれもの」たちが語るもう一つの音楽史。

渡辺裕/増田聡ほか『クラシック音楽の政治学』 青弓社、2005
「帝国の音楽」としてその出自を持ち、「高級」という記号として流通・機能しているクラシック音楽の現在形を、グローバリゼーションと観光、ポピュラー音楽との関係性、 語られ方、歴史、聴衆、生態学等の視角から照射する(カバー記載の文章)

西原稔『クラシックでわかる世界史』アルテスパブリッシング、2007
時代を生きた作曲家。歴史を変えた名曲。音楽はやはり歴史とともにあった。そんな当たり前のことが分かりやすく書かれていて、歴史が嫌いな人にもおすすめ。
奥中康人『国家と音楽 伊沢修二がめざした日本近代』春秋社、2008
「伊澤の唱歌は全人形成が目的だった(p.116)」など、明治期の学校教科「音楽」がどのように導入されたかを考えるときに、大変ためになる本。

チャールズ・ローゼン 『ピアノ・ノート』/『音楽と感情』 朝倉和子訳、みすず書房、2009/2011
現代における屈指の理論派ピアニストによるエッセイ。ピアノ関係の疑問にある程度解答を与えてくれる。第2弾「音楽と感情」も面白い。

西島千尋『クラシック音楽はなぜ<鑑賞>されるのか』 新曜社、2010
「鑑賞」に相当する言葉は英語にも他の言語にもない」と「はじめに」に書かれており驚くが、よく読んでみると日本の音楽教育におけるいろいろな矛盾を浮き彫りにする内容であり、実に興味深い 内容だ。
中川右介『国家と音楽家』 七つ森書館、2013
「”音楽に国境はない”と言われるがそんな能天気なことは平和な時代だから言える。少なくとも、音楽家には国境がある」これも「はじめに」より。「あとがき」に東電福島第一発電所事故についても書かれていて、ここに感銘を受けた書。
烏賀陽弘道 『Jポップとは何か ― 巨大化する音楽産業 (岩波新書)』2005
インターネット時代になって音楽の聴き方が劇的に変化したことを再認識させられる一冊。続編の『「Jポップ」は死んだ(2017、扶桑社新書)』も面白い。

許光俊 『世界最高のピアニスト (光文社新書)』2011
技術論ではなく「何を聴くか」という話題が書かれている。終章「それ以外のピアニストたち」が結構面白い。


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