アイアランドのピアノ作品

ジョン・アイアランド(John Ireland 1879-1962)


平凡社『音楽大事典』のいちばん最初の項目に掲げられているのがジョン・アイアランド。しかし彼の作品を愛好している人はまだまだ少ないような気がします。
20世紀英国の抒情的作曲家。ロンドンのロイヤル音楽カレッジで学び、作曲をスタンフォードに師事。神秘主義と異教的なものへの憧れを基調に、チューダー朝教会音楽の語法やラヴェルとストラヴィンスキーの技法に多くを学んで、旋法的音階と和声を特徴とする自らの作風を作り上げたということです(この辺は前述の事典よりのまとめ)。
管弦楽曲にも傑作が多いのですが、何といっても彼の音楽の最良の形はピアノ独奏曲ではないかと思います(ピアノ協奏曲も佳作ではありますが)。特に「サルニア」はラヴェルの「夜のギャスパール」に匹敵する名作との声が多いようです。洗練された雰囲気、ユーモアのきいた楽想、また、地理的な感覚が多くの作品に生かされていることなどがこの作曲家の特徴と言えるでしょう。

ピアノ独奏曲
(日本語訳についてはいろいろ分からないことがあります。皆様の御意見をお待ちしています。)・・・ 黄色セルの曲はおすすめの1曲

原題 寸評
In Those Days (1895) あの頃は
(1. 空想 Daydream /2. メリディアン Meridian[子午線])
作曲者の晩年になって(1961)出版された小品。第1曲:ロ長調、3/4拍子。With gentle movement/第2曲:変イ長調、6/8拍子、アンダンテ・コン・モート。彼の音楽が持つ詩的な情緒が感じられる佳作。タイトルの訳は「オーレックス英和辞典」より。
Sea Idyll (1899-1900) 海の詩 本来は「Sea Idyll」と題された3曲からなる組曲。「A Sea Idyll」として第1曲のみStainer & Bellの第1巻に収録されていたが、新しい「John Ireland: The Selected Piano Works Volume 6」には3曲収録されている。「1. Poco Andante/ 2. Allegro appassionata/ 3.Andante mesto」
Villanella (1904) ヴィラネッラ オルガン用の作品として作曲されたものを作曲者が1912年にピアノ用に編曲した。
First Rhapsody (1905-06) 第一狂詩曲 初期の作品のいくつかは出版されていなかったが、アイアランドの遺言執行人であるノーラ・カービーが大英図書館に寄贈したコレクションの中に幸いにも自筆原稿が保存されていた作品。Stainer & Bell社「John Ireland: The Selected Piano Works Volume 6」で見ることができる他、初演を行ったマーク・ベッビントンの録音で聴くことができる(SOMMCD 099)。ブラームス、リスト、ラフマニノフなどの影響がうかがえる力強い作風の作品。[Bebbingtonの録音ではStainer & Bell版と音やリズムの違うところがある。この点について調査中]
The Almond Trees (1913) アーモンドの木 ある美術品店で見た日本の版画から着想された曲らしい。
Decorations (1912-13) 装飾
島の魔法 The Island Spell/ 月の湿地 Moonglade/ 緋色の儀式 The Scarlet Ceremonies
印象派的ピアニズムの名作。第1曲は夢幻的な分散和音が特徴的で、テクスチュアの見事さと音色感にすぐれている。「魅惑の島」という訳も見るが、ここでは名詞の形容詞的用法と考えた。第2曲は冷たく透明な、かつ神秘的なノクターン。第3曲はアーサー・マッケン(Arther Machen)の“The White People”に基づいているという。きわめて技巧的で、重音奏法が難しいが演奏効果は抜群の一曲。
Three Dances (1913) 3つの舞曲
ジプシーの踊り Gypsy Dance/ 田舎の踊り Country Dance/ 収穫者の踊り Reaper's Dance
教育的作品と注釈をつけて出版された作品。気楽な楽しさに満ちている3曲。
Preludes (1913-15) 前奏曲集
小声 The Undertone/ 妄想 Obsession / 聖なる少年 The Holy Boy/ 春のきらめき Fire of Spring
第1曲は5/8拍子、10音のオスティナートが続くのが特徴。第2曲は不安定な音の進行が心の状態を表現するようだ。第3曲は敬虔な美しさに満ち、アイアランド作品中最も人気のある曲と言われている。弦楽合奏などにも編曲されしばしば演奏される。第4曲は「サルニア」の「Song of the Springtides」につながる感性があるとChristpher Palmerは言う。
Rhapsody (1915) 狂詩曲 ピアノのための交響詩といった性格。ソナタ形式と思われるが提示部と再現部で展開が行われる独特の形式である。
London Pieces (1917-20) ロンドン小品集
チェルシー・リーチ Chelsea Reach/ 浮浪児 Ragamuffin/ 昼前のソーホー Soho Forenoons
彼が愛し続けた街、ロンドンを描いた作品集。チェルシーのガンター・グローヴ通りにあるアイアランドのスタジオは,テムズ川へ楽に歩いていける距離のところにあった。第1曲はバルカロール風で、そんな穏やかで高雅な情緒を持ち、テムズ川の情景を髣髴とさせる。第2曲はいたずら好きの少年を楽しく描き、第3曲はソーホーのストリート・ミュージシャンの様子を描いたもの。
Leaves from A Child's Sketchebook (1918) 子供のスケッチブックより
湖のわきに By the Mere/ 草地にて In the Meadow/ 狩の開始を告げるラッパの音 The Hunt's up
全曲が2声で簡潔に書かれた作品集。曲名の訳はPTNAピアノ曲事典より。
Merry Andrew (1918) メリー・アンドリュウ 2/2拍子、ホ長調。コン・モート・マ・ノン・トロッポ・アレグロ。明るく元気のよい曲想が魅力。
The Towing-Path (1918) 引き船路(運河・川などに沿う) 6/8拍子、ハ長調。アレグレット・モデラート。ゆったりした流れを感じさせる美しい一曲。
Summer Evening (1919) 夏の夕べ 2/4拍子、ヘ長調。アンダンティーノ。ノクターン風の伴奏の上に和音で美しい主題が奏される。
Piano Sonata (1918-20) ピアノ・ソナタ 第1楽章 アレグロ・モデラートは見事な形式感で構成された音楽。第2楽章 ノン・トロッポ・レント 静かで淡々と語る独特の世界で、流れるような中間部が素晴らしい。第3楽章 コン・モート・モデラートはオーケストラ作品のような広がりを見せる。ピアニスティックな演奏効果に満ちた傑作。
The Darkend Valley(1920) 暮れなずむ谷間 ブレイクの詩を引用、独特の暗い抒情性がすばらしい。
Two Pieces (1921) 2つの小品
思い出のために For Remembrance/ アンバーリー・ワイルド ブルックス Amberley Wild Brooks
第1曲は「哀歌」と言えるような曲調。第2曲の「アンバーリー・ワイルド ブルックス」とはイングランド、ウェスト サセックスのホーシャム地区にあるアンバーリー (Amberley) 村の北にあるアルン川の干潟の氾濫原に広がる湿原、小川、溝などのエリア。アイアランド得意の「水」を描いた作品として名作の一つと言える。
Equinox (1922) イークィノクス(昼夜平分時)
「春分・秋分」というもの何だか・・しかしアラベスク風のこの曲は不思議な美しさに満ち、愛好者が多い。
On a Birthday Morning (1922) 誕生日の朝に アーサー・ジョージ・ミラー(チェルシーの骨董屋の息子で聖ルカ教会の聖歌隊員)の17歳の誕生日プレゼントとして書かれた。リズミカルで楽しい曲想である。
Soliloquy (1922) 独り言 民謡風の小品。フィオナ・リチャーズは「言葉のないバラード」と評した。
Prelude in E flat (1924) 前奏曲 変ホ長調 「1924年2月22日」というメモがこの曲の内容を物語るとされる(ほかにもこの日付が記された作品があるということ)。モデラート・ソステヌート、3/4拍子。落ち着いた曲調で、どこか哲学的な雰囲気が感じられる。
Two pieces (1925):
April/ Bergomask
2つの小品
4月/ベルガマスク
第1曲は抒情的ピアノ小品の傑作で。作曲者自身の録音(78回転)もある。第2曲のタイトルはドビュッシー、フォーレも用いたもので、同じメロディがリズムを変えて用いられている。「ピアノ・ソナタ」や「ピアノ協奏曲」で聴かれるようなフレーズがあるのは興味深い。
Sonatina (1926-27) ソナチネ 指揮者でありBBCの音楽プロデューサー、トーマス・エドワード・クラークに捧げられた作品。第1楽章モデラートは華麗なパッセージが特徴だが無駄のない書法を見せる。第2楽章クワジ・レントは孤独感に満ちた緩徐楽章。第3楽章ロンド、リトミーコ・ノン・トロッポ・アレグロは6/8と9/8が混在する変拍子で書かれ、のびのびとした気持ちの良い響きが魅力的である。
Spring will Not Wait 春は待ってくれない 高雅で詩的。アイアランドらしいお洒落な小品。訳はPTNAピアノ曲事典より。
Ballade (1929) バラード 神秘的な雰囲気に満ちており、苦悩に満ちた音楽である。曲は不協和音が支配し、変拍子で流れてゆく。
Two Pieces (1929-30):
February's Child/ Aubade
2つの小品
2月の子供/オーバード
第1曲はアレグレット・アマービレ、イ長調、3/4拍子。冒頭の小説の動機から楽想が導き出される。第2曲はコン・モート、変ロ長調、5/8拍子と4/8拍子が交替する音楽で、明るく華やかである。
Ballade of London Night (1930) Op.posth. ロンドンの夜のバラード 1968年まで出版されなかったのはコーダの直前で自筆譜が中断してしまっていたためで、アイアランドに高く評価されたピアニストであるアラン・ロランドによって1968年に最初の部分を再現する方法のエディションが作られた(エリック・パーキンの解説による)。アイアランドの個性がよく表れた作品。
Month's mind (1932) 三十日後の追悼ミサ 作曲者により「…我々の祖先が「ひと月の心」と呼んだ日々は、(死後の)魂が特別に記憶される日であり、それゆえ“ひと月の心を持つ”という表現は、切なる願いを意味する」という言葉が添えられている。訳は「小学館ランダムハウス英和大辞典」の最初に掲載されている「@[ローマカトリック教会] 三十日後の追悼ミサ: 死後(埋葬後)1か月目に行う死者のためのミサ」から採用したもので、「A《古》愛好、好み」「[英]A強い欲求(strong desire)、愛好、好み(inclination, liking)」という記述もあるが、作曲者のコメントから考えてこのように表記した。
Greenways(1937):
The Cherry Tree/ Cypress/ The Palm and May
緑の道
桜の木/糸杉/棕櫚と山査子
ハウスマン、シェイクスピア、ナッシュの詩による引用がある。第3曲は「5月」ではなく「山査子(さんざし)」と訳した方が良いはず。Thomas Nashe の詩「Spring」第2連にある「The palm and may make country houses gay は平井正穂編『イギリス名詩選(岩波文庫)』によれば「柳とさんざしの芽がふいたとばかり、田舎家が浮かれ出し」となっている。
Sarnia: An Island Sequence (1940-41)
Le Catioroc/ In A May Morning/ Song Of The Spring Tides
サルニア―島の情景―
ル・カティオロック/ 五月の朝に/ 大潮の歌
第1曲は神秘的・呪術的な光景を思わせる非常に印象的な作品で、即興風で哀歓に満ちたメロディーが高揚してゆく楽想はこれまで聴いたことのないような独特の世界。第2曲はヴィクトル・ユーゴーの「海の労働者」からの引用を持っている。第3曲はスウィンバーン(Swinburne,1837-1909,英国の詩人・批評家)の詩句によって序文が付けられている。いろいろな意味で実に見事なピアノ音楽。
Three Pastels (1941):
A Grecian Lad/ The Boy Bishop/ Puck's Birthday
3つのパステル画
ギリシャの少年/少年司教/パックの誕生日
第1曲はハウスマンの「シュロップシャーの若者」からの引用がある。これは見事な心情描写だと思う。第2曲は「詩編45」からの引用がある宗教的作品。第3曲はシェイクスピア「真夏の夜の夢」からの引用がある。
Columbine (1949) コロンビーヌ コロンビーヌ(コロンビーナ)はCommedia dell'arteに登場する生意気で抜け目のない召し使いの娘。英国のパントマイムではHarlequinの恋人(リーダーズ英和辞典)。Stainer & Bell社の楽譜には注意書きがあって、「舞曲との密接な関係」があり「ある女性の性格を暗示」すると書かれている。ただ、ダニエル・アドニ演奏のアイアランドピアノ作品集(LPディスク:EMI HQS1414)のErnest Chapmanによる解説では「Another nature study, in which the subtle harmonic oscillations may well have their counterpart in the delicate tints and serrated foliage of this delicate plant.(この繊細な植物の繊細な色合いと鋸歯状の葉に、微妙な調和の振動が対応していると思われる、もう一つの自然研究)」とあった。この辺については引き続き調査中。

ピアノ協奏曲 ・室内楽曲

原題 寸評
Phantasie-Trio in A minor (1906) ファンタジー・トリオ(単一楽章) イギリスの実業家、ウォルター・ウィルソン・コベット(1847-1937)が開催したコンクールで2位を得た作品。ブラームス、フォーレを思わせる渋い美しさを持つ。
Sonata No.1 in D minor, For violin and piano (1908-1909) ヴァイオリン・ソナタ第1番 ニ短調 フランス風の響きを持つソナタ。とくに緩徐楽章が美しい。
Sonata No.2 in A minor (1915-17) ヴァイオリン・ソナタ 第2番イ短調 この作品が1917年に初演されてアイアランドの名が広く一般に知られるようになったと言われている。
Trio[No.2] in E, For violin, cello, and piano (1917) ピアノ三重奏曲第2番 ホ長調(単一楽章) 第一次世界大戦が影響を与えたと思われる悲劇的な内容が特徴。冒頭の主題が自由に変奏される形式で、ポーコ・レント―アレグロ・ジュスト(クワジ・ドッピオ・モヴィメント)―アンダンテ―アレグロ・アジタート―ラルガメンテという構成。アレグロ・アジタート部分について、 チェリストのフローレンス・フートンは、作曲者がアレグロ・ジュストで「塹壕の上を行く兵士たち」を思い起こさせると話したそうである。
Sonata in G minor, For cello and piano (1923) チェロ・ソナタ ト短調 20世紀のチェロソナタの中でも名作の一つと言えるだろう。チェロの幅広い表現力とピアノが見事に音楽を形作り、楽章ごとの個性もはっきりしている。
Piano Concerto in E flat for piano and orchetra (1930) ピアノ協奏曲 変ホ長調 1.In tempo moderato/ 2.Lento espressivo--Allegro-- Allegretto giocoso 第1楽章はどこか即興的で、弦楽器の旋律などかなりロマンティックである。形式を考えると主題の印象がどこか薄いようにも感じるが、広がりを感じさせる楽想は素晴らしい。ただ、この曲の価値は第2楽章[前半〕の抒情性にあるのではないだろうか。[後半]はかなり華やかになり、ピアニスティックな盛り上がりを見せる。コーダのピアノの動きにはプロコフィエフ「ピアノ協奏曲第3番(1921年作曲)」からの影響が感じられるのが面白い。
Trio [No.3] in E minor (1938) ピアノ三重奏曲 第3番 四楽章制で規模が大きい。この曲の素材は以前取りやめとなったクラリネット三重奏曲に由来するらしい。「若々しいインスピレーションと成熟した職人芸が融合した作品」 と Lewis Foreman は評した。最終楽章にはラヴェルのピアノ三重奏曲からの影響も感じられる。
Fantasy Sonata, For clarinet (in B flat) and piano (1943) ファンタジー・ソナタ(クラリネット、ピアノ) クラリネット奏者のフレデリック・サーストンのために書かれた。ソナタの楽想を1楽章形式にまとめた音楽。


参考文献:

山尾敦史『ビートルズに負けない 近代・現代 英国音楽入門 お薦めCDガイド付き』音楽之友社、1998
Craggs, Stewart R; ed.John Ireland a Catalogue, Discography, and Bibliography, Clarendon Press, Oxford, 1993
Trend, Michael; The Music Makers: The English Musical Renaissance, Weidenfeld & Nicolson, an imprint of The Orion Publishing Group Ltd., London, 1985(邦訳:『イギリス音楽の復興 音の詩人たち、エルガーからブリテンへ』木邨和彦訳、旺史社、2003)
John Ireland: Chamber Works (Chands Chan 9377/8) CDの解説[1995 Lewis Foreman]
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