Beethoven 1800年までのピアノソナタ 2022.3.11更新

演奏して気が付いた点をメモしてあります。「演奏上の問題点」については演奏をしながら少しずつ書き足していく予定です。なお[m]は「第・・小節」の略です
作品番号のないソナタ(WoO番号)

3つの選帝候ソナタ WoO 47  3 Klaviersonaten WoO 47 “Kurfürsten-Sonaten”  (1782〜83年作曲)

師であるネーフェの勧めにより出版した、最初のピアノ・ソナタである。初版本の表題には「クラヴィーアのための三つのソナタ。尊敬すべきケルン大司教兼選帝候マクシミリアン・フリードリヒ殿下にささぐ。作曲および献呈は11歳のLudwig van Beethoven による」と書かれていた。この「選帝候ソナタ」はリーマンによればマンハイム楽派のアンサンブル音楽の影響を受けたものであり、純粋のピアノ技巧によったものではないということになるが、この作曲家の将来を予感させる場面もかなりみられる、意欲作と言える。

第1番 変ホ長調 第1楽章はアレグロ・カンタービレ、 4/4拍子、変ホ長調。ソナタ形式。室内楽作品を思わせる書き方であるが、のちの個性となるf、p の交替はすでにこの曲中にみられる。第2楽章はアンダンテ、2/4拍子、変ロ長調。ソナタ形式。前の楽章の第2主題と関連がある。第3楽章はロンド、ヴィヴァーチェ、6/8拍子、変ホ長調。

第1楽章では、再現部を第2主題で開始する方法がとられているが、これについてはモーツァルト、クレメンティにも同様の手法が見られる。 属啓成『ベートーヴェンの作品 上巻』(三省堂)には「展開部は、主題の部分動機によるものではなく、第1主題を忠実にドミナンテの調變ロ長調に反復するものである。從つて再現部に於てこれをもう一度主張に反復する事は重複を來すようになつたので、 第1主題の再歸すべき個所には、第二主題から派生したハ短調の新主題が自由な模聲を以て奏される。この展開以下第1主題の再歸までは、モーツァルトの自由なソナタ形式を思はせる手法である」と書かれているのだが、 モーツァルト、クレメンティの曲だと再現部を第1主題から開始しない場合は第1主題を最後に登場させる。ところがこの「第1番」では再現部で第1主題は登場しないと考えるべきであろう。

第2番 ヘ短調 第1楽章はラルゲット・マエストーソ、2/2拍子〜アレグロ・アッサイ、4/4拍子、へ短調。このアレグロの第1主題と「悲愴」ソナタのアレグロ主題との関連はしばしば指摘されるものである。第2楽章はアンダンテ、 2/4拍子、ヘ短調。不完全なソナタ形式。第3楽章はプレスト、 2/4拍子、ヘ短調。展開部のないソナタ形式。

第3番 ニ長調
 第1楽章はアレグロ、4/4拍子、ニ長調。不完全なソナタ形式。第2楽章はメヌエット、 3/4拍子、イ長調。主題と6つの変奏。第3楽章はスケルツァンド:アレグロ、マ・ノン・トロッポ、 2/4拍子、ニ長調。ロンド形式。

★ 演奏上の問題点:
「選帝侯ソナタ」は、全体的に、モーツァルト「KV279」第3楽章にみられるような細かいアーティキュレーションが施されていることが特徴と言える。それと緩徐楽章での細かい動きにも装飾音が付けられている以下のような箇所(第2番第2楽章より)。これについては前古典派の音楽をもう少し調べてみたいと思っている。 エマヌエル・バッハのソナタを見てもかなり多くの装飾音が見られることから、何らかの関係はあると思う。

強弱の指示が多いことは「感情過多様式」を思わせるものだが、ベートーヴェンの場合は「ff」の多用が目立っている。そしてフェルマータと休符の表現が重要である。もちろんこれらはハイドンにも見られるのは確かであるが、 やはり以下のような箇所にはベートーヴェンらしい音楽が感じられるのは確かだと思う(「第3番」第1楽章より)。


ソナチネ ヘ長調 WoO 50(1790〜92年作曲)

『ベートーヴェン事典(平野昭・土田英三郎・西原稔編著)』によれば「自筆譜には標題も署名も献辞もないが、コープレンツのヴェーゲラー家に伝えられた状況から,また,『ベートーヴェンによって僕のために書かれた』という自筆譜アレグレット楽章へのヴェーゲラー自身の書き込みからも、ボン時代の友人フランツ・ゲルハルト・ヴェーゲラーのために作曲されたことは確実と思われる」とのこと。

第1楽章は 4/4で書かれ、簡単なアルベルティ低音、あるいは和音の反復に伴奏されたモーツァルト風の楽想である。
第2楽章はアレグレット、 3/4のメヌエット的な音楽である。


やさしいピアノ・ソナタ(断章) ハ長調 WoO51 (1797?—98年作曲)
エレオノーレ・フォン・ブロイニングへの献辞が付いているソナタで、ベートーヴェンの作品中でも演奏技巧の点で非常にやさしいものである。この曲は、出版社に伝わった写譜ではアダージョの最後12小節が落ちていて、弟子のリースが完成させたとのこと(セイヤー『ベートーヴェンの生涯』より)。

第1楽章はアレグロ、 4/4拍子。分散和音の主題で始まるが、すぐに3連符の楽想へと変化し、ハイドン風の第2主題となる。
第2楽章はアダージョ、 3/4拍子。ヘ長調の美しい音楽である。


作品番号を持つピアノ・ソナタ
ピアノ・ソナタ 第1番 へ短調 Op.2-1 (1793〜95年作曲)

ピアノ・ソナタ「第1番」は作品番号の付けられた最初のソナタだが、当時の作曲家が世に出す「作品1」は「弦楽四重奏曲」であることが多かったらしい。これはハイドン、モーツァルトの時代から「弦楽四重奏曲は作曲家の登龍門」という意識が作曲家にあったためなのだが、ベートーヴェンの「作品1」はピアノ三重奏曲だった。得意分野である「ピアノ・ソナタ」でなかったことは、彼がピアニストとしての活動のみを目指していなかった一つの表れと言えるだろう。ピアノは彼が最も得意とする楽器であったが、その分野では種々の実験が行なわれていることに注目したい。ピアノ曲は交響曲よりも私的な空間にふさわしく、そこで自由に自己の音楽を表現することから彼の作曲活動は始まったと言える。この曲の「ヘ短調」という調性は「田園」交響曲の第4楽章や「エグモント」「熱情」につながる劇的な世界を持っていると考えられる。「Strum und Drang(疾風怒濤)」の精神もここにあると言え、エマヌエル・バッハらの先人たちの精神を受け継いで、ロマン的表現へと発展してゆく記念すべき本格ピアノ・ソナタの第一作なのである。

第1楽章は、マンハイム楽派が好んだ動機による主題(モーツァルト「交響曲第40番最終楽章」も同類)が、有機的かつ劇的に展開される。スケッチ帳では最初のアウフタクトはなかったということだが、この最初の音が重要なだけに実に興味深い話だ。
★ 演奏上の問題点:
1. 最初のアウフタクトの音に staccato が付けられていないことからテヌートあるいは次の小節へのスラーで演奏する人が時々いるが(H.リヒター=ハーザー,R.グードなど)、その場合m8との関連はどのように説明すべきかがよくわからない。
2.第1主題のリズム。Allegro,2/2 ということで速く演奏しようとすると付点音符が正確にならないことがある。自分の演奏を振り返ってもそういうことがあった。ただ、Op.31-3などを考えても、ベートーヴェンがこういう細かい音符を書くときにはテンポを暗示することがあるように思う。W.ケンプなどの演奏を聴くとその辺を考えることができるように思った。
3.m33の左手、最初の4分音符をスタッカートで演奏する人と(F.グルダ、R.グード、D.バレンボイムなど)、スラーで演奏する人(W.バックハウス、W.ケンプ、S.リヒテルなど)がいる。前者は軽快な感じとなり、後者はm15の動機との関連を思わせる。どちらが良いとも言えないように思う。
4.m62  右手2拍めにあるDes音に本位記号を付けてD音にした版もあるが、ベーレンライター版にあるように「Des音が好ましい」ように思う。
第2楽章は、美しい主題が魅力的である。楽想はボン時代のものであったらしい。
★ 演奏上の問題点:
1.主題のターン記号についてはいろいろな弾き方があって一概にどれが良いとは言えないが、ピアノ四重奏曲WoO36-3の第2楽章にそのヒントがあるように思う。
2.m17、ニ短調になった部分はオクターヴのレガートが書かれていることから何らかのペダルは必要と思われる。
第3楽章は古典的なメヌエットであるが、本来の宮廷的な性格ではなく、暗い気分が支配している。
★ 演奏上の問題点:  m11のアッポジャトゥーラ。シェンカーはm22,23との違いで  short appoggiatura と指示している。これを短前打音あるいは長前打音に統一して演奏する人もいる。現在、さらに調査中。
第4楽章は「嵐の楽想」としばしば評される。のちのソナタ「第14番(月光)」「第23番(熱情)」のフィナーレにもみられる、ベートーヴェン 特有の情熱的な表現である。
★ 演奏上の問題点:
1. 主題のペダル用法。休符をほとんど無くするように長く踏む人、スタッカートで演奏する人といろいろのようだ。個人的にはm2では使いたいがスタッカートの感じは出したい。その方法はある。
2. m59、変イ長調になった部分のペダル用法。最初から使う、メロディーがオクターヴになった時に使う、など考えられる。


ピアノ・ソナタ 第2番 イ長調 Op.2-2 (1794〜95年作曲)
第1番と比べてまず目立つことは、その規模が拡大されたことだ。第1楽章で前作の2倍、全体を演奏してもかなり長大になっていることが分かる。曲想面でも明るさ、軽やかさが全体を支配しており、演奏効果も華麗である。

第1楽章は調性の感覚に特徴があり、第1楽章の第2主題で一般的にはホ長調で現れるべき第2主題がホ短調-ト長調-変ロ長調と転調してゆく。また展開部ではハ長調‐変イ長調という大胆な転調が聴き手の意表をつく。全体は軽妙洒脱、爽やかでユーモアをもった明るい世界だ。
★ 演奏上の問題点:
1.m117-118にある2小節間の休符。ヘンレ版などだと「seconda-volta-Ziffer」の誤読の可能性が示唆されているが、ベーレンライター版の解説を見ると、この説には根拠がなく、むしろハイドンにもよく見られるもので、“so that this could even have been meant as a friendly nod to the dedicatee of these sonatas”とあった。たしかにこの楽章はハイドンの音楽を感じさせる部分もあるのでこの考えは面白い。
2.展開部でのペダル用法。m131からある程度長く用いる方法、休符のところで用いない方法が考えられる。個人的にはマルコム・ビンズが歴史的楽器で演奏するスタイル(後者)の方に味わいがあるように思うが、ベートーヴェンらしい大きさは前者の方法が勝るとも思う。
3.再現部前にある calando についてはRosenblum “Performance Practices in Classic Piano Music”での考察が参考になる。この用語は時代あるいは作曲家によって意味が異なるということには要注意だ。
第2楽章はLargo appassionatoという独特の発想標語。再現部で突然ffが出現することが変わっているが、緩徐楽章にもドラマを求める姿勢がはっきり現れている。Op.2-3や、のちのOp.10-3の緩徐楽章にも見られるロマン主義的情感の表れだと思う。
第3楽章で導入された「スケルツォ」様式はピアノ・ソナタでは初めての試みであった。
第4楽章はウィーン古典派らしい優雅なロンドであり、ピアニスティックな演奏の喜びに満たされている。


ピアノ・ソナタ 第3番 ハ長調 Op.2-3 (1794〜95年作曲)

作品2の中で最大規模を持つソナタ。交響曲第1番、ピアノ協奏曲第1番と同じハ長調であり、両曲に共通した世界がここにもあるように思われる。

第1楽章 冒頭主題はクレメンティの影響を思わせる3度の重音奏法。楽章全体が技巧的に構成されているが、注意したいのは第2主題が二つに分かれていること。つまり、ト短調のモーツァルト風楽想(1785年作曲の「ピアノ四重奏曲WoO.36-3」から転用)と、その後に現れるト長調の和声的楽想であり、この方法はのちの第8番「悲愴」(Op.13)などにも受け継がれた。コーダにはソナタ楽章としては例外的な「協奏曲カデンツァ Konzertkadenz」も登場する。
第2楽章 ホ長調という変わった調性感覚は「ヴァルトシュタイン」ソナタ(第1楽章第2主題)や「ピアノ協奏曲第3番」の第2楽章を思わせる。弦楽四重奏風の穏やかな響きで始まるが、ホ短調に転じてからは、転調やフレーズ感覚などがかなり自由になり(3小節あるいは5小節の楽節もある)、即興風の世界が繰り広げられる。
第3楽章 前作のスケルツォより対位法的で交響的な性格をもっている。
第4楽章は演奏効果に富んだフィナーレで、モーツァルトの協奏曲との関連を指摘する研究者もいる。コーダはまさにベートーヴェン の大胆な個性が発揮されたもので、この大きなソナタを締めくくるのにふさわしい。
★ 演奏上の問題点:
1.m298の calando については 第2番で書いたことと同様である。


ピアノ・ソナタ第19番 ト短調 作品49-1 (1797年頃作曲)

初期に書かれたソナタである(作曲年代は2曲とも推定)。初版では「2つのやさしいソナタ」と記されていた。出版(ウィーン/美術工芸社)について、セイヤーの『Beethoven の生涯』によれば「この二つのソナタは1796/97年の時期のものであることはほとんど確実である」「1802年には出版できるばかりになっていたが、その年に弟のカールが楽譜出版業のアンドレに渡し、1805年までは出版されなかった」ということがわかっている。これらのソナタがBeethoven によって教育目的のソナタとして出版されたのか、あるいは出版の意思はなかったのにカールによって売り込みが行われたのかについて、真偽のほどは分かっていない。

第1楽章 アンダンテ ト短調 2/4拍子、ソナタ形式。いろいろな部分にモーツァルトとの関連を見せる楽章。ピアノ協奏曲や歌曲などに見られる書法とよく似たところがある。テンポはゆったりとした楽章で、第2主題が5度の和声で始まること、劇的展開を見せる展開部、再現部での左手で奏されるテーマなどに注目してみたい。
★ 演奏上の問題点: m88右手、ターン記号が音符の間にあるが、どちらかの音符に合わせて演奏するという考え方もある。
第2楽章 ロンド:アレグロ ト長調、6/8拍子。「ロンド」と銘打ってあるが形式は典型的なものではない。A主題はト長調、そのあとに出る経過句(ト短調)の印象が強く、ここにエピソード「C」の性格が表れているとも考えられる。その後にB主題が変ロ長調で登場、以下A-B-A-コーダと続く。


ピアノ・ソナタ第20番 ト長調 作品49-2  (1795〜96年作曲)

第1楽章 アレグロ・マ・ノン・トロッポ ト長調、2/2拍子、ソナタ形式。第1主題は堂々とした主和音と3連符のアルペジオ、対位法的な旋律から構成される。可愛らしい第2主題のあと、3連符の動きと音階の上昇下降が特徴となる。ニ短調から始まる展開部は短いが、様々な転調がなかなか印象的なもの。
第2楽章 テンポ・ディ・メヌエット ト長調、3/4拍子、複合三部形式と言えるが、変則のロンド形式とも思える。この楽章の主題は「七重奏曲 変ホ長調Op.20」にも使用されていることから広く知られている作品である。


ピアノ・ソナタ第4番 変ホ長調 Op.7 (1797年作曲)

初期ピアノ・ソナタ中で最も規模の大きいものであり、「グランド・ソナタ」と記されている。この名称は、他にOp.13「悲愴」,Op,22,Op.26,Op.106(「ハンマークラヴィーア」)に用いられたもので、ベートーヴェン の自信作と考えてよいであろう。

第1楽章 前作の第1楽章がピアニズムを特徴としたのに対して、この楽章は終始シンフォニックである。第1主題は明るく大らかな主和音で構成され、穏やかな第2主題に自然に導かれる。展開部が意外に短いのに対して、この楽章はコーダが大規模かつ巧妙に作られており、偽終止から第1主題・第2主題・小結尾動機と現れ、最後は第1主題の旋律を伴奏より1小節遅らせて抑揚を変化させる独創的なものである。
★ 演奏上の問題点:
1.冒頭の強弱は p だが、(f ?)としてある楽譜を見たことがある。再現部から類推したのかもしれない。最近の原典版ではこの解釈はないようだが、中学生のころ習った先生はたしか f で演奏していたことを思い出す。
2.m72の左手Es音に本位記号を付けたエディションがあり、かつてはその音で弾いていた。しかし、シェンカー版や最近のベーレンライター版の解説を見るとオリジナルで問題ないように思われる。
3.m130ソプラノF音には次の小節へのタイがつけられている楽譜がほとんどだった。W.バックハウスがこの音をタイでなく打ち直しているのを不思議に思っていたが2012年のHenle版(Herausgegeben von Norbert Gertsch)だとタイは括弧書きになっていた。そのため2014年のリサイタルでは打ち直して演奏する方法をとった。ベーレンライター版(2019)を見るとタイにはなっていない。
4.m214 右手4つ目の8分音符は「G」で、(♭)としてある楽譜が多い。G音で演奏する人もかなりいるようだが、個人的には「Ges」で演奏したい。
第2楽章 瞑想的・哲学的ともいえる緩徐楽章。休符に遮られながら進むのが第1主題の特徴であるが、E.フィッシャーが言うように「休止符を超えて感情のながれを維持すること」は大切だと思う。
★ 演奏上の問題点: m25からの変イ長調になる部分は左手はsempre staccato 、右手は和音の旋律でオクターヴのレガートを含む。こういう箇所では右ペダルの用い方が重要。Op.28の第2楽章でも同様の技巧が求められると思う。かつてE.ギレリスがOp.79の第2楽章の伴奏をスタッカートで弾き、旋律をレガートで弾いていたのを聴いたことがある。
第3楽章 第3番の第3楽章と構成は似ているが、「スケルツォ」とも「メヌエット」とも記されていない。主部はアレグロだが優しい表情を持ち、変ホ短調という珍しい調性の中間部との対比が鮮やかである。
第4楽章 属和音からという意外性のある開始。この和声感覚にベートーヴェン の進歩を見る人も多い。ウィーン風の洒落たフィナーレで、中間部ではハ短調の嵐も現れるが、曲は優雅な情緒のうちに幕を閉じる。


ピアノ・ソナタ 第5番 ハ短調 Op.10-1 (1796〜98年作曲)

第1楽章 ベートーヴェンらしく、力強い第1主題。それに対し第2主題は変ホ長調で、のびのびと歌われるものである。展開部には新しい素材が出現し、再現部は diminuendo の下行音型の後に f で現れることなど、ドラマティックに作られた楽章である。
★ 演奏上の問題点: 第1主題、付点4分音符で書かれていることに注意。この次に16分休符に意味があると思われる。m61のターンの奏法については児島新『ベートーヴェン研究』の中で詳細に述べられているので参照にしたい。エマヌエル・バッハの理論書にも述べられている「タイの場合のターン」「第二音上のターン」ということで、ベートーヴェンがエマヌエル・バッハを勉強していたことと関係があると思われる。
第2楽章 穏やかなカンタービレが特徴で、主題はさまざまな形に装飾される。展開部を持たないソナタ形式。
第3楽章 規模は小さいが、疾走するような緊張感に支配された見事な楽章である。展開部にはいわゆる「運命動機」が登場、コーダは変ニ長調からハ短調—ハ長調と締めくくられる。


ピアノ・ソナタ第6番 へ長調 Op.10-2 (1796〜98年作曲)

緩徐楽章を持たないソナタ。ソナタは通常「アレグロ(ソナタ形式)—緩徐楽章(三部形式)—メヌエットあるいはスケルツォ—ロンドあるいはアレグロ(ロンド形式かソナタ形式)という構成をとるが、ベートーヴェン は作品10以降で、いろいろな形を試した。古典的で楽しい第1楽章と、本来は舞踏楽章であるはずの第2楽章の叙情性、奔放なエネルギーがのちの「第12番(作品26)」「第13番(作品27の1)」「第14番(作品27の2)」、そして「第22番(作品54)」「第23番(熱情、作品57)」への流れを想像させるフィナーレ、それぞれの性格対比に特徴のある一曲である。

第1楽章 明るい気分と喜びに満ちた楽章である。ハイドンのソナタとの関連をしばしば指摘されるように、古典的な形式美の中にユーモアを感じさせる、魅力的な楽章である。
★ 演奏上の問題点: 第1主題、m5のリズムが初版では付点ではないということについて、ミスプリントであるという説をとりたい。ハイドンのピアノソナタ Hob.35第1楽章テーマでも同じことが言えると思う。
第2楽章 メヌエットにしては深刻すぎるし、スケルツォにしては遅い感じである。E.フィッシャーは「作品27の1の“Allegro molto e vivace”と一脈通じた点がある」と指摘した。暗くまじめな気分に支配される主部は、変ニ長調のトリオでは安らぎの表情に置き換えられる。
第3楽章 フーガを思わせる主題が、ポリフォニックな要素を随所に含みながら、華やかに展開される。展開部では「交響曲第4番」の第3楽章で使用される和声進行も見られ、転調の見事さもこの曲の演奏効果を高めていると言えよう。


ピアノ・ソナタ第7番 ニ長調 Op.10-3 (1796-98年作曲)

いわゆる初期のソナタの中で、「第4番」と並んで規模の大きい作品である。構成面でも「第4番」と似たものがあるが、主題動機の扱いに格段の進歩が見られるほか、演奏上の工夫が随所になされていており、ベートーヴェン の個性が豊かに感じられるソナタである。

第1楽章 第1主題は両手で奏される下行--上行音階で、この最初の4音の動機が楽章全体を支配する。第2主題はその動機を含みながら、穏やかにレガートで奏される。全体に輝かしい楽想に満ち、きわめて有機的に構成されている。
★ 演奏上の問題点: m53からのアッポジャトゥーラは普通は長前打音(8分音符4つ)で演奏されるが、短前打音で演奏する人もかなりいる。シェンカー版、ビューロ版では短前打音と記されている。
第2楽章 深い感情表現に満ちた緩徐楽章であるが、特に「メスト(哀しげに)」という表記がなされている。この作品の白眉であり、その悲劇性は後期様式を先取りしているという評価もあるほどだ。全体はソナタ形式だが、中間部に新しい楽想が現れることから、三部形式とも言える。
★ 演奏上の問題点: m7、アルペッジョについてアラウ版では "Break chords simultanoeously with g#'s on the beat."とある。 カセッラ版およびビューロ版だとアルペッジョ記号はつながっている。
第3楽章 メヌエットだが、一般的なアレグレットではなく、アレグロの表示となっている。穏やかで優しい、救いの調べのような美しい楽章である。
第4楽章 このフィナーレの主題は、「問と答」「鬼ごっこの追っかけあい」「隠れんぼと見つかった時の朗らかさ」などとしばしば例えられる特徴的なもので、断片的な動機と休符、フェルマータと装飾句から成っている。チェルニーはこの楽章を、第5番のフィナーレと同様にベートーヴェンのユーモアが感じられる、と評した。


ピアノ・ソナタ第8番 ハ短調 Op.13“悲愴” (1798-99年作曲)

ベートーヴェン がみずからタイトルを付けたピアノ・ソナタは「悲愴」と「告別」の2曲である。「悲愴」ソナタは第4番のソナタに続いて「グランド・ソナータ(大ソナタ)」と記されており、この曲の作曲には力が注がれていたことがわかるものだ。全体の構成もよくまとめられており、デニス・マシューズは、「このOp.13 のソナタは、先行する Op.10 よりははるかに心をとらえるものがあり、はるかに情熱的で挑戦的、書法に無駄がなく、よく統御され、その表わそうとする気分を見事に確立している。すでにモーツァルトを手本にしているということはないが、ドゥシェクの情緒的表現からはなにがしかを得ている」と評している。
このソナタは、当時のウィーンにおいてかなりの人気を得ていたようだ。しかしその型破りの形式ゆえに、アカデミックな作風を重視する教師は、生徒にこの作品を見ることを禁じた、という話も残っているほどである。

第1楽章 バロック時代のフランス風序曲様式(緩やかなテンポの Grave 部分と速いテンポの Vivace という緩・急の2部分により構成される)も暗示する構成であるが、序奏の動機はアレグロの主題とも関係しており、分析してみるとなかなか興味深い。冒頭の fp の和音からして大胆な感情表出が見られる特徴的な序奏からアレグロの主部の快速な流れとなるが、展開部冒頭、コーダの前と二回も序奏動機で中断される。この劇的な楽想の交替こそ、すでに「選帝侯ソナタ」第2番(ヘ短調)において試みられていた表現方法なのであった。
★ 演奏上の問題点: 第27-28小節の[rf]と第31-32小節の[sf]に違いがあるのか(ヘンレ版による)という問題については「普通にある印刷上のミス」という説をとりたい。ベートーヴェンがrinforzando を要求するときは大抵は長いフレーズを強調する時、および緩徐楽章で歌うように強調するときであること、そして略記は rf ではなく 「rinf.」であることが理由(ベーレンライター版の注解など参照)。
第2楽章 美しい緩徐楽章で、弦楽器のアンサンブル、あるいは歌曲の旋律を思わせる。この旋律はモーツァルトのソナタ(ハ短調)K.457 の第2楽章の中間部と非常によく似ており、幸福で優しい気分はまさにモーツァルト的と言ってよいだろう。この楽章の形式は「小ロンド形式」とするのが一般的だが「三部形式」という人もいる。
★ 演奏上の問題点: m70。初版では「rf」となっていてヘンレ版などもそのように表示してあるが、ウニフェルザール版、ベーレンライター版、春秋社版(児島新校訂)などでは「rinf.」としてある。
第3楽章 この楽章の第1主題は第1楽章の第2主題と関連がある。軽快なロンドであり、聴いていて心地よい音楽である。コーダでは「第5番」で見られたような劇的な転回も見られ、ソナタ全体を効果的に締めくくっている。


ピアノ・ソナタ第9番 ホ長調 Op.14-1 (1798-99年作曲)

作品14の二つのピアノ・ソナタ(第9番/第10番)は、有名な「悲愴」ソナタが書かれた時期と同じ頃作曲されている。この曲は「ソナタ」の本来持つ概念に近く、平易な技巧で演奏できるように作られているのが特徴であり、たいへん親しみやすい。楽章構成は 「第6番(作品10の2)」のように、本来あるべき緩徐楽章が省かれた形と言える。このソナタは後年、弦楽四重奏曲用に作曲者自身により編曲された。

第1楽章 4度上行する動機を特徴とした第1主題が、単純な伴奏形のもとに登場する。この動機は楽章全体において支配的であり、「悲愴」ソナタ第3楽章にも(下降形だが)登場していた。また、のちの「ピアノ・ソナタ第31番」などでも見られるように、作曲者のお気に入りであったようだ。第2主題は半音階で進行する単旋律であり、伴奏はいっそう控えめになっている。
第2楽章 憂いに満ちた主部は付点音符のリズムが特徴で、メヌエットとスケルツォの中間的性格を持っている。トリオではハ長調に転じるが、メランコリックな気分が消えることはない。
第3楽章 3連符の軽快な伴奏に乗って、楽しそうなテーマがオクターヴで演奏される。第2主題はその独特の音程感覚で印象的なものであり、全体的には、音階や分散和音などの技巧性・運動性が目だった楽章である。


ピアノ・ソナタ第10番 ト長調 Op.14-2 (1798-99年作曲)

抒情的で優しさに満ちた音楽である。このソナタは、第2楽章に変奏曲、第3楽章にスケルツォ、という新機軸を打ち出したソナタであり、全体はウィーン風の優雅な気分でまとめられたソナタである。

第1楽章 明るく、爽やかで愛情に満ちた楽章である。優雅に、何かを語りかけるような楽想で二つの主題は作られており、終始穏やかな情緒である。第1主題の伴奏形で強拍をわざと分かりにくくするような形であることが特徴。
第2楽章 ゆったり行進するような楽想の主題と、三つの変奏から構成される。
第3楽章 「スケルツォ」が最終楽章となることは極めて稀である。普通は四楽章形式の第三楽章として置かれるスケルツォ(諧謔曲)と、フィナーレに置かれるロンドを合わせたような曲である。

ピアノ・ソナタ第11番 変ロ長調 Op.22 (1800年作曲)

このソナタでベートーヴェン は、久しぶりで四楽章制を採用した。初期ピアノソナタにおいて交響曲的な構成感を目指した、その理想上にある作品と言える。全体の規模も大きく、初期様式の頂点を築く作品である。作曲者自身、この作品には自信を持っていたようで、出版に際しホフマイスター宛に「このソナタは第一級の作品です」と書いている。ヨアヒム・カイザーは「激情や悲哀におぼれない男性的な傑作」と評した。

第1楽章 第1主題は第10番でも見られたようなシンコペーションで、動機を反復したのちに拍子が安定するという特徴を持っている。第2主題は和声的なもので、対比が見事である。展開部は、それまでに見られたような主題の有機的な展開ではなく、幻想的な長いパッセージであり、穏やかにディミヌエンドして再現部となる。コーダは書かれていないが、それがいっそうこの楽章の明確な古典的構成感を浮き彫りにしている。
★ 演奏上の問題点:m104にある p 記号およびm104のdecresc.との関係については今のところ結論は出せない。何かの誤りとは思われる。
第2楽章 ロマン派の性格的小品を先取りしたかのような、深い精神性を持った長大な緩徐楽章。
第3楽章 伝統的なメヌエットが「ピアノ・ソナタ第1番」以来久しぶりで採用された。中間部ではミノーレ(短調)となり、楽想の対比が鮮やかである。
第4楽章 「第4番」でも見られた優雅なフィナーレ。モーツァルト的なA主題と、「自作主題によるやさしい変奏曲ト長調 WoO77」とよく似たB主題である。中間部はB主題を展開したものであり、典型的なロンドではなく「ロンド・ソナタ形式」と言ってよい。主題再現の際の変奏的手法も見事で、初期ソナタのフィナーレ中で最もすぐれたものと言えるだろう。


参照楽譜(出版社と編集[校訂]者)

Bärenreiter (Jonathan Der Mar)
Henle (Gertsch, Perahia/ Op.7, 31, 101)
Henle (Schmidt-Görg/ Op.2〜57)
Henle (Wallner)
Peters (Martienssen)
Universal (Schenker)
——
Durand (Dukas)
Peters (Arrau)
Peters (J.Fischer/ Op.13, 27, 57, 106)
Ricordi (Casella)
Simon & Schuster (Schnabel)
Schirmer (Bülow, Lebert)


参考文献:

児島新 『ベートーヴェン研究』 春秋社、1985
属啓成 『ベートーヴェンの作品(上)』 三省堂、昭和19年
平野昭・土田英三郎・西原稔 編著 『ベートーヴェン事典』東京書籍、1999

Newmann, Willam S.  Beethoven on Beethoven: playing his piano music his way, W.W.Norton & Company, New York, 1988
Newmann, Willam S.  Performance practices of Beethoven's Piano Sonatas, New York, 1971
Thayer, Alexander Wheelrock. Thayer's Life of Beethoven, revised and edited by Eliot Forbes, Princeton University Press, New Jersey,1964.(邦訳:『セイヤー ベートーヴェンの生涯[上][下] エリオット・フォーブス 校訂  大築邦雄訳』、音楽之友社、昭和46/49年)
Rietmüller, Albrecht und Dahlhaus, Carl und Ringer, Alexander L. Beethoven; Interpretationen seiner Werke, Laaber-Verlag,Laaber, 1994
Rosenblum, Sandra P. Performance Practices in Classic Piano Music, Indiana University Press, Bloomington and Indianapolis, 1988
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