ピアノ変奏曲

重要だと思われる点のみ掲載します。

ドレスラーの行進曲による9つの変奏曲 ハ短調 WoO 63
作曲 1782年、出版 1782年
 この曲の主題の作曲者エルンスト・クリストフ・ドレスラーはカッセルのオペラ歌手である。この曲はベートーヴェンがボンでネーフェに指示していた頃の作品で、彼の最初に出版された作品であった。
 主題 マエストーソ。ハ短調 4/4拍子。 16小節で構成される。二部形式。第1変奏は左手が8分音符の伴奏型になり、右手は前打音が2箇所に付けられている。第2変奏は左手の伴奏はそのままだが、右手は16分音符で細かく装飾される。第3変奏は左手の華麗な動き。第4変奏は再び右手の変奏。半音階進行も使用される。第5変奏は右手が16分音符一つ分遅れて奏されるのだが、2小節目でさらにそれを32分音符に細分化する手の込んだもの。第6変奏は左手はいわゆる「アルベルティ低音」、右手は交差を交えながらトリルを奏する。第7変奏は右手の3連符。第8変奏は右手の分散和音。第9変奏はハ長調に転調し、両手で音階を奏する。この曲の調、ハ短調〜ハ長調の関係はベートーヴェンが好んだ調性であることには注意を要する。つまりハ短調の曲をハ長調で終わらせることがベートーヴェンの音楽には多くみられるということ。

ディッタースドルフのアリエッタによる13の変奏曲 イ長調 WoO 66
 作曲 1792年、出版 1792年
 1791〜92年、ディッタースドルフのオペレッタ「赤ずきん」がボンで上演され、好評を博していた。この変奏曲はその中のアリア「昔ひとりの老人がいたとさ」に基づくものである。
 主題 アレグレット。イ長調 2/4拍子。 37小節。軽快な旋律で、途中で休符のフェルマータにより中断されるのが特徴である。第1変奏は右手の16分音符による変奏。第2変奏はチェロを思わせる左手と右手の伴奏音型との対話。第3変奏は「コモデット(やや気楽に)」。3連音符が特徴。第4変奏はスタッカートの動きとレガートの旋律とが対比される。第5変奏は「リゾルート(決然と)」。フェルマータから後はアリオーソ、アンダンテ・コン・モート(6/8)となって、一瞬場面が変わるが、すぐにもとの元気な楽想となる。第6変奏は「エスプレッシーヴォ(表情豊かに)」。イ短調で静かな性格。第7変奏はアレグロ・ノン・モルト。6/8に変わり、活発な音楽。第8変奏はもとのテンポに戻り、常にレガートで奏される穏やかな曲。第9変奏は「コン・スピーリト(元気をもって)」。fとpの交替が特徴である。フェルマータのあとアンダンティーノ、2/2拍子となるがすぐに元の速さが復活する。第10変奏は右手のリズム変奏。第11変奏はアレグロ。6/8拍子。主題は左手に現れる。第12変奏はアレグロ・ノン・タント、コン・グラツィア。4/4でアリア風である。フェルマータのあとは「カプリチオ、アンダンテ」と変化する。第13変奏は「マルチア・ヴィヴァーチェ」。行進曲となり、華やかに、喜ばしく曲を閉じる。

パイジェルロの《水車小屋の娘》の「田舎者の恋は」の主題による9つの変奏曲 イ長調 WoO 69
 作曲 1795年、出版 1795年
 パイジェルロの《水車小屋の娘》は1788年の作であるが、7年後の1795年にウィーンで上演された歌劇である。ベートーヴェンはこの年の6月末にこのオペラを聴き、この変奏曲を作り上げた。
 主題はアレグレット、24小節。16小節の後半を繰り返す形。第1変奏はスタッカートの3連符に前打音・スラーで細かいアーティキュレイションが施される。第2変奏は右手の16分音符の動き。第3変奏は休符をはさんだ左手の動きに特徴がある。第4変奏はイ短調となり、オクターヴでメロディーが奏される。第5変奏はイ長調に戻り、ppで奏される。右手は主題の音型を表し、左手は特徴のあるリズム。第6変奏は左手のモティーフを右手が模倣する。第7変奏は16音符と8分音符の組合せでグラツィオーソな性格。第8変奏は音階による左右の対話。第9変奏はテンポ・ディ・ミヌエット。穏やかな情緒が支配する曲。後半は拡大され華やかになるが、曲は静かに終結する。

パイジェルロの《水車小屋の娘》の二重唱「わが心はもはやうつろになりて」の主題による6つの変奏曲 ト長調 WoO 70
 作曲 1795年、出版 1796年
 パイジェルロの歌劇「水車小屋の娘」は、1795年6月にウィーンで上演された。この変奏曲の主題は、そのなかの有名な二重唱によったものである。ヴェーゲラーによると、ベートーヴェンがある貴婦人とこのオペラを観ていた時、この二重唱のところへくると、婦人が、私はこの主題の変奏曲を持っていたがなくしてしまった、と嘆いたので、ベートーヴェンはその夜のうちに6つの変奏曲を作曲して、「彼女が紛失し、ベートーヴェンによって再び見つけられた変奏曲」という上書きをつけて翌朝夫人に贈ったという。それがこの変奏曲である。
 主題はト長調、6/8拍子、イタリア古典歌曲としても有名な旋律である。第1変奏と第2変奏では音符が細分化され、第3変奏は分散和音、第4変奏はト短調に転ずる。第5変奏は3連符の華やかな動き、最後の第6変奏で両手の16分音符の流れとなったあと、手を交差させることにより主題が上下に現れるコーダとなる。学習者向きの比較的易しい作品として、しばしば演奏の機会のある作品。

ヴラニツキーのバレエ《森の乙女》のロシア舞曲の主題による12の変奏曲 イ長調 WoO 71
 作曲 1796年、出版 1797年
 ヴラニツキーはボヘミア出身の作曲家で、モーツァルトと同年生まれであった。テーマの「ロシア舞曲」はバレエ音楽《森の乙女》に出てくる多くの民族舞曲の中で、特に当時評判になったようである。
 主題は(3+2)、(3+2)、(2+2)、(3+2)の変則的な構成を持ち、後半のみ繰り返される。第1変奏は広い音域の跳躍と速い音階の組合せで、まるでヴァイオリンのよう。第2変奏はスタッカートの動き。第3変奏はイ短調で静かな流れだが後半は強弱の対比が目立つ。第4変奏は主題は左手、右手はやはりヴァイオリンの模倣。第5変奏は分散和音、第6変奏は左右の手の対話。第7変奏はイ短調で速い3連符。のちのメンデルスゾーンの変奏曲を予感させる。第8変奏は左手のピツィカート風の音が特徴。第9変奏はどこか弦楽四重奏的である。第10変奏は3連符の分散和音。第11変奏は三回目の短調で、第12変奏の6/8、アレグロへと続く。特筆されるべきはこの変奏曲のコーダであり、124小節もの長さの間にさまざまな転調を重ねながら即興演奏風に繰り広げられる魅力を持ったものである。

自作の主題による6つの変奏曲 ヘ長調 作品34
 作曲 1802年、出版 1803年
 変奏曲として作品番号を持つ最初の作品である。この曲は「エロイカ変奏曲」と同時に書かれ、出版の際ベートーヴェンはブライトコプフ・ウント・ヘルテル社に宛てた手紙で、次のような前書きを載せるように頼んでいる。「これらの変奏曲は私の旧作にくらべて明らかに異なっているので、私は以前のようにただの番号(つまり、例えば第1、2、3など)で呼ぶことをやめ、私のより規模の大きな作品のように実際の作品番号をつけた。というのも主題からして私のものだからである。」 この言葉は印刷されなかったのだが、彼は作品34、35の出来映えにはかなりの自信を持っていたようだ。
 この曲で大きな特徴は、変奏ごとに3度ずつ下降した調が用いられ、テンポや性格も曲ごとに異なっていることである。主題も表情の豊かなものであり、綿密に構成された芸術作品としての変奏曲を初めて世に送り出そうとしていた、ベートーヴェンのそんな考えがよく伝わる名作と言える。
主題 アダージョ。ヘ長調、2/4拍子。カンタービレの指示で、穏やかな情緒を持つ。第1変奏 ニ長調 2/4拍子。音符を細分化する古典的な変奏だが、装飾音符を頻繁に用いてさまざまな表情をもたせている。第2変奏 アレグロ・マ・ノン・トロッポ  変ロ長調、6/8拍子。スタッカートの音型と分散和音の対比。活発な音楽である。第3変奏 アレグレット ト長調、4/4拍子。一転して優しい音楽となる。ドルチェの指示で、レガートに演奏される。第4変奏 テンポ・ディ・メヌエット  変ホ長調、3/4拍子。優雅な曲だが、細かいスラー・スタッカートや装飾音で彩られている。第5変奏 マルチア。アレグレット  ハ短調、2/4拍子。葬送行進曲風の音楽。次に続けて演奏される。第6変奏 アレグレット ヘ長調、6/8拍子。ドルチェの指示。後半のコーダでは再びアダージョが、第1変奏に見られたような細かい音型で美しく変奏されて再現される。

《プロメテウスの創造物》の主題による15の変奏曲とフーガ 変ホ長調 op.35《エロイカ変奏曲》
 作曲 1802年、出版 1803年
 この曲の主題は最初オーケストラのための「12のコントルダンス(WoO 14)」第7番に用いられ、次いでバレエ音楽「プロメテウスの創造物」作品43のフィナーレに転用され、その次にこの変奏曲、最後に交響曲第3番「英雄」のフィナーレへと何度も使われたテーマである。
 この曲は作品34の変奏曲と同時に書かれた姉妹作であるが、作品34とは違った手法がみられる。テーマの前に序奏を置き、主題の低音の持つ可能性を示す手法はバロック時代のパッサカリアを思わせるもので、しかも2声・3声・4声と進められたのちに「テーマ」が現れるという個性的な作り方。曲想も op.34に比べて雄大華麗であり、ベートーヴェンの「変ホ長調」に共通した明るさ・力強さ・英雄的な音楽性を感じさせるものである。
序奏 「主題のバスを用いた序奏」。アレグレット・ヴィヴァーチェ。両手のオクターヴで演奏されたのちに2声・3声・4声と変奏される。
主題 「英雄」交響曲でおなじみのテーマ。「ドルチェ」の指示がある。
第1変奏 分散和音による変奏。第2変奏 3連符の急速な動き。後半には「プレスト」と指定されたカデンツァが挿入される。第3変奏 手の交差による力強い和音が特徴。第4変奏 左手の静かな動き。第5変奏 ppでシンコペイションの旋律となる。第6変奏 主題の旋律はそのままだが、調性はハ短調へと変わる。ただ左手の半音階的な動きもあって何となく調性は不安定である。第7変奏 「オクターヴのカノン」。左手が一拍遅れて奏されるもの。第8変奏 ppによる分散和音の変奏だが、この書法は「ワルトシュタイン」ソナタのロンドを思わせる。第9変奏 左手の前打音に主題が隠されている。「センプレ・フォルテ」。第10変奏 右手の休符の間に左手が音を一つずつ入れてゆく。第11変奏 3連音符のアウフ・タクトが特徴。第12変奏 重音の変奏だが、右手はpで上行、左手はfで下行という反進行。第13変奏 前打音のついたソプラノとfの和音の組合せ。「センプレ・フォルテ」。第14変奏 「ミノーレ(短調)[注]」。変ホ短調となり、静かな気分となる。第15変奏「マジョーレ(長調)、ラルゴ」。op.34で見られたような音の細分化。ハ短調のコーダがあり、半終止によって次への期待が高まる。終曲 アラ・フーガ アレグロ・コン・ブリオ。3声のフーガ。ノッテボームによればベートーヴェンは「フーガの徹底した訓練は受けなかった」ということだが、この曲の自由な展開が本来のフーガと違ったものであるといった批判は全く方向違いのものである。ベートーヴェンの狙いは表現の可能性の追求なのであって、フーガ形式は手段に過ぎなかった。このフーガにおけるクライマックスの築き方はのちの「ハンマークラヴィーア」ソナタや、ブラームスの「ヘンデル変奏曲」を思わせるものといえよう。アンダンテ・コン・モートでテーマが再帰した後にも更に変奏が繰り広げられ、この壮大な曲は堂々と終わる。

注:短調の変奏に「Minore」と表記することについては、メヌエットなどの舞曲でそのように表記することから来たものではないかと推測。小泉洽『新版 音楽辞典(東京堂出版)』に次のように書いてある。
Minore(It.) 「小さい」の意. 短調.この語はロンド,ミヌエット舞曲,小行進曲,その他の楽曲の中間部,すなわち「トリオ」の名称で使用されることがある. これらの楽曲は多くは長調である.けれどもトリオの部分にくると関係短調に転調するので,M.の名称が起こったものであろうと H.Albert 1927†は述べている.
Maggiore(It.)長調,「大きい」の意.行進曲や舞曲,諧謔曲,ロンド,変奏曲の譜表上にM.の文字をおき関係調に転調することを示すことがある.たとえば,短調から,同じ主音の長調に転調したり,または長調から同じ主音の短調に転調したりすることを示す.ベートーフェンの作品35の「15変奏」の第15番目にそれがある.
・・短調長調への転調をあえてイタリア語で表記する方法は変奏曲でしばしば用いられる他、「交響曲第3番“英雄”」第2楽章(第69小節)などにも例があるが、こういう習慣から来たのではないかと考えている。現在さらに調査中。

イギリス国歌《ゴッド・セイヴ・ザ・キング》の主題による7つの変奏曲ハ長調 WoO 78
 作曲 1802〜03年、出版 1804年
 変奏曲WoO.79とこの曲は、ほぼ同じ頃に書かれた。イギリスに関係した主題をこの2曲が持つのは、メイナード・ソロモンによれば、1804年から1805年にかけてベートーヴェンの主な作品がイギリスで10回演奏され、その後も彼の作品が聴かれる機会が次第に数を増していったことへの感謝の気持ちかもしれないということである。
 主題は有名なイギリス国歌「神よ、国王を守り給え」。14小節からなる2部形式。第1変奏は3声〜4声で書かれた8分音符の進行である。第2変奏と第3変奏は16音符の流れとなる。第4変奏は和音の広い跳躍が力強く奏される。第5変奏はハ短調、コン・エスプレッシオーネで、3連符のレガート。第6変奏はハ長調に戻り、アレグロ・アラ・マルチア、4/4拍子。第7変奏は快活な4/4拍子で、アダージョ〜アレグロのコーダとなる。

《ルール・ブリタニア》の主題による5つの変奏曲 ニ長調 WoO 79
作曲 1803年、出版 1804年
 「ゴッド・セイヴ・ザ・キング」変奏曲とほぼ同じ頃書かれたと思われる変奏曲である。この頃の興味ある事実として(この変奏曲との関連は不明であるが)、1803年にベートーヴェンはスコットランドのジョージ・トムスンにスコットランド民謡によるソナタの依頼を受けている。このソナタは作曲されなかったのだが、トムスンは再三依頼状をよせ、のちに「スコットランドの歌(作品108)」の形で実現することとなる。ベートーヴェンのイギリスとの関係を考える上では記憶されてよい話であろう。
 主題はイギリス民謡でT.アーンの作である。テンポ・モデラートと表示され、(14+16)の30小節からなる二部形式。後半の繰り返しに「コーラス」という表示を持つもの。第1変奏は6/8に変わり、低音のつぶやきがクレッシェンドでスタッカートの和音に導かれる。第2変奏は2/4、弱音で奏されるレガートの分散和音。第3変奏は3連音符の活発な動きとなる。第4変奏はロ短調。左手の長いトリルの上に主題が右手で力強く現れる。第5変奏はニ長調に戻り、左手の軽快な伴奏の上に右手が16分音符の変奏。続くコーダは、主題の2小節目のリズムをさまざまな転調の中で繰り返すスケルツァンドの音楽である。

自作の主題による32の変奏曲 ハ短調 WoO80
 作曲 1806年、出版 1807年
 交響曲第4番、ピアノ協奏曲第4番、ヴァイオリン協奏曲、「ラズモフスキー」弦楽四重奏曲などが書かれた1806 年の作曲。大作の中でこの変奏曲は作品番号を与えられなかった。
 主題 アレグレット。ハ短調、 3/4拍子。8小節の短い主題である。この主題は、バロック音楽のパッサカリア(あるいはシャコンヌ)形式であり、のちのブラームスにも「交響曲第4番」のフィナーレにおいて似た手法が見られる。変奏は、その構成面から、いくつかのグループに分けて考えられる。第1・第2・第3変奏は分散和音と反復音の組合せが右手〜左手〜両手と発展する。第4・第5・第6変奏は3連符の楽想を特徴とした第4・第6変奏の間にリズムに変化をつけた第5変奏が入る。第7・第8・第9変奏は左手の分散和音の上にオクターヴの旋律〜その変奏〜トリルと右手が変化する。第10・第11変奏は両曲とも「センプレ・フォルテ」。32分音符の激しい動き。第12・第13・第14変奏はハ長調に転調する。「センプリーチェ(素朴に)」とある第12変奏は主題の旋律が思い出され、それが左手に移される第13変奏、両手が3度で重ねられる第14変奏と続く。
第15・第16変奏 右手のオクターヴの変奏。第16変奏では3連符と16分音符とが組み合わされる。
 第17・第18・第19変奏 再びハ短調。アルベルティ・バスの伴奏の上の旋律が模倣・発展してゆく第17変奏、音階と分散和音による激しさが特徴の第18・19変奏。第20・第21・第22変奏 3連符の速い動きが左手〜右手と続いたあと、両手オクターヴのカノンとなる。第23・第24・第25変奏 第23変奏はヴァイオリンのような右手の音型、第24変奏はスタッカートの3連符、第25変奏は前打音のついた軽快な動き。この3曲は弱音で奏される。第26・第27変奏 fで奏される両手の3度のパッセージが特徴。第28・第29・第30変奏 「センプリーチェ」の第28変奏は第17変奏を思わせるが右手は単純なもの。突然の嵐のような変奏のあと、淡々とした和音進行の変奏が続く。第31・第32変奏 ppの伴奏の上に主題がはっきりとした形で登場、クレッシェンドで最後の変奏へと続けられる。最終の変奏曲でもう一度即興的に変奏の可能性が追求されるのはベートーヴェンのいつもの手段である。 

《アテネの廃墟》のトルコ行進曲による6つの変奏曲 ニ長調 作品76
 作曲 1809年、出版 1810年
 この曲のテーマ「トルコ行進曲」は、2年後に「アテネの廃墟」が作曲された時、華やかなオーケストレイションをもって転用されたもの。つまりタイトルが逆であることには注意すべきである。異国風のトルコ音楽様式、あるいは軍隊的音楽は当時の一つの流行であって、同じ1809年に書かれた「ピアノ協奏曲第5番」とともに、ナポレオンのフランス軍侵攻の年の作品ということも記憶してよさそうである。
 主題 アレグロ・リゾルート  ニ長調  2/4拍子。スフォルツァンドでトルコ風の打楽器を模倣した元気な音楽である。 第1変奏 主題とまったく対照的な繊細な音楽へと変わる。両手で16分音符をレガートで奏する。第2変奏 スフォルツァンドのついた fの和音と pの音型との交替。このp部分の音型はテンポは違うが「熱情」ソナタ第2楽章の第1変奏を思わせる。第3変奏 6/8に転じ、センプレ・ドルチェ。3度・6度で主題が美しく彩られる。第4変奏 主題のモティーフが短縮されてゆく面白さがある。第5変奏 ドルチェの分散和音。和声進行のみの変奏である。第6変奏 プレスト  3/4であるが行進曲の性格は失っていない。華やかに発展したあと、最後にもう一度主題が奏されて曲を閉じる。

ディアベリのワルツによる33の変奏曲 ハ長調 作品120
 作曲 1819,22〜23年、出版 1823年
 この変奏曲は「交響曲第9番」とも併行して書き続けられ、1822年、「第9」の第1楽章と並んでその大半が書かれたようである。出版は翌23年、当時やはり併行して書かれていた最後の3つのソナタと関係のあるブレンターノ夫人に献呈されている。この曲の表題にはイタリア語のVariation ではなく Veränderungen(変容)というドイツ語が用いられている。このことについてピアニストのA.ブレンデルは、「ベートーヴェンはこの作品で変奏技法そのものを変えている」と指摘している。つまり主題の輪郭をはっきり固定しておくことより主題の動機を有効に利用することが重要なのであり、変奏技法とソナタの作曲技法が手を結んでいる、ということである。注意して記憶されるべき考えであろう。それと、各変奏に細かいテンポの指定がされていること。これはのちのロマン派以降の変奏曲に影響を与えたと言ってよいだろう。

 主題 ヴィヴァーチェ ハ長調 3/4の愛らしいワルツといえようが、シントラーによればベートーヴェンはこの主題を「靴屋のぼろきれ」と呼んでいたそうである。第1変奏 アラ・マルチア  マエストーソ。4/4拍子に早くも変貌を遂げる。この曲の冒頭がヴァーグナーの「ニュルンベルクのマイスタージンガー」前奏曲に似ているという指摘は面白い。第2変奏 ポコ・アレグロ 3/4拍子。「軽快に」と指示され、左右両手で短い和音を交互に奏する。第3変奏 リステッソ・テンポ 「ドルチェ」の指示。弦楽四重奏的な音楽で、後半のチェロの呟くような音型が特徴。第4変奏 ウン・ポコ・ピウ・ヴィヴァーチェ  これも弦楽四重奏的で、クレッシェンドで終止に導かれる曲想。第5変奏 アレグロ・ヴィヴァーチェ 主題の頭のリズムを繰り返して構成されている。後半に現れるヘ長調〜変ニ長調への転調が独特である。第6変奏 アレグロ・マ・ノン・トロッポ・エ・セリオーソ  トリルのついたパッセージが左右で模倣される。第7変奏 ウン・ポコ・ピウ・アレグロ 付点リズムと3連符による華やかな効果。第8変奏 ポコ・ヴィヴァーチェ 「常にレガート」と指示され、どこか懐かしいメロディーである。ブラームスの音楽を思わせる。第9変奏 アレグロ・ペザンテ・エ・リゾルート ハ短調。主題の冒頭リズムを f、スタッカートで繰り返す。厳しい精神を感じさせる曲。第10変奏 プレスト ハ長調に戻る。典型的なベートーヴェンのスケルツォ。
 第11変奏 アレグレット アウフタクトのリズムが3連符に変化し、その積み重ねでできている。後半のみの繰り返し。第12変奏 ウン・ポコ・ピウ・モート この曲も同じリズムの繰り返しで構成されるが、長いクレッシェンドが特徴である。これも後半のみの繰り返し。第13変奏 ヴィヴァーチェ ベートーヴェンは休符の天才であるが、この曲に見られる音の省略は彼のユーモアを感じないではいられない。第14変奏 グラーヴェ・エ・マエストーソ 複付点のリズムといえば通常は葬送行進曲風なのだが、この曲は後期ピアノ・ソナタのような音の響きと気分を持っている。第15変奏 プレスト・スケルツァンド 2/4拍子。前半のスタッカートと後半のレガートが対比される。第16変奏 アレグロ 右手は行進曲風、左手は分散オクターヴ。第17変奏 右手は6度と3度の分散形、左手は行進曲風のリズム。つまり前の曲と対になっている。第18変奏 ポコ・モデラート。第12変奏と似ているが、こちらの方がリズムに変化があり、屈折した気分を感じさせる。第19変奏 プレスト カノン風な音楽。第20変奏 アンダンテ 6/4拍子。神秘的なコラール。
 第21変奏 アレグロ・コン・ブリオ  4/4拍子〜メノ・アレグロ、3/4拍子。対照的な二つの部分から構成されるが、一つの変奏の中でテンポをこれだけ変化させる曲も例のないものだ。第22変奏 アレグロ・モルト 4/4拍子。「モーツァルトの『夜も昼も苦労してるのは』のように」と記された音楽。このアリアは「ドン・ジョヴァンニ」の冒頭にレポレッロが歌うアリアで、昼夜を問わず働かせる主人への不平を「召使はこりごりだ」と歌っている。チェルニーによれば、ディアベリに催促される自分をこのアリアになぞらえたものという。第23変奏 アレグロ・アッサイ 4/4拍子。音の奔流は華麗だが、エチュードのような性格だ。第24変奏 フゲッタ アンダンテ ウナ・コルダの指定で、終始穏やかな情緒が支配する。第25変奏 アレグロ 3/8拍子。左手の軽快な動きが特徴だが、主題が持つ舞曲の性格を久しぶりに感じさせる。第26変奏 「ピアチェヴォーレ(気持ちよく)」。分散和音の動機が声部をだんだん重ねてゆく形。第27変奏 ヴィヴァーチェ 前の変奏を速くして伴奏をつけたような曲想。第28変奏 アレグロ 2/4拍子。スフォルツァンドのついたスタッカートの和音。執拗な繰り返しはいかにもベートーヴェンだ。
 第29変奏 アダージョ・マ・ノン・トロッポ ハ短調、3/4拍子。ここからかなり気分が変わり、2度目のハ短調。ため息のような切れ切れの旋律はピアノ・ソナタop.110のアリオーソを思い出さずにはいられない。第30変奏 アンダンテ、センプレ・カンタービレ  ハ短調、4/4拍子。前の変奏の気分を受けてウナ・コルダ(弱音ペダル)で奏される。第31変奏 ラルゴ、モールト・エスプレッシーヴォ  ハ短調、9/8拍子。この変奏はベートーヴェンが書いた最も美しい音楽の一つである。装飾音符で彩られた音符の一つ一つが、後期のベートーヴェンが到達した精神の深さを伝えてくるようだ。第32変奏 フーガ:アレグロ  変ホ長調、2/2拍子。活発なフーガとなるが、不協和音で中断、カデンツァののちに「ポコ・アダージョ」、最後の変奏に続く。第33変奏 テンポ・ディ・ミヌエット、モデラート ハ長調、3/4拍子。「メヌエットのテンポで、中位の速さ」のあと「しかし緩慢にならぬように」との但し書きつき。「優美に、やわらかく」と指示された曲だが、まるで「ピアノ・ソナタop.111」の第2楽章のような雰囲気だ。さまざまな装飾をもった音型が続いても、曲の性格はあくまで静かなものであり、後半のコーダではピアノの即興演奏の可能性が、澄み渡った気分の中で追求される。


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